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なんだろうこの謎の安心感。もはやASMRと言ってもいいかもしれない。
ウチの動画は映像よりも音に拘っています(笑)
キーボードの音がいいです。ASMRや。
この動画では、いわゆるRDFキーボードと呼ばれるメカニカルスイッチのキーボードを敢えて使っております。
はじめて買ったWindowsが、まさにこのWindows3.0でした。PCは日本ローカルが嫌だったので、価格破壊のコンパックを選択。DOSはもちろんコンパックDOS(の6.0だったか?)でした。単体売りの日本語版Wondows3.0が市販されていなかったので、英語版3.0を買い、西川和久氏が作った「DDD」(Display Dispatch Driver:¥1,000)で日本語化しました。翌年になると、ようやく日本語版Windows3.1が単売されたので、今度こそ日本語のWindowsを買えました。
動画の中ではオーパーツ気味のPC(PC-9821An)を使っているので結構サクサク動いているのですが、当時は386マシン(PC-9801DA)で動かしていたので、もう本当に使い物になりませんでした……。一応DAはWin3.0A向けにチューンしているとか言われていますが、遅くて全然ダメでしたね。
待ってました!
ヤッター!マッテター!!
3.1使いでしたが、最初に画面に現れるのはプログラムマネージャーで、アイコンがたくさん並んでいるのとウィンドウがつくれますが、95以降での呼び名であるすべてショートカットです。階層構造をもつ画面インターフェイスではなく、それを開きたければファイルマネージャをひらいてファイルを開きます。いわばファイルマネージャーで見られるファイルのショートカット集がプログラムマネージャでしかありません。同時期にあったMac OSのクラシックと比較してたら、つまらないOSだなあと気づいていたことでしょう。当時の言葉でいうMacintoshパソコンが別次元で人気だったのもそのせいかもしれません。
TRONもプログラム本体とアイコン(化身)は別とか漢字トーク(システム)になれてるときつかったですね
@@mi-chin そうそう。Macintoshの日本語OSの呼び名は、漢字Talkでしたね。参考:上述では、現在からみる形でMac OSのクラシックと書きましたが、タイムリーに使用されていた当時にMac OSクラシックなんて呼び方はありません。Mac OS Xが出てから、以前のver9.2までを区別するため今やMac OS Clasicという呼び方があります。
ここまで古いと、むしろセキュリティよさそうw
サーバ動作していないので、侵入のしようが無い感じですね~
このOSが出てきたあたりからPC-98の牙城が徐々に崩されていくことになるんですね。
Win3.0の頃(1991~1992年くらい)はまだまだ98全盛期で、Win3.1以降(1993~)になるとWindows環境では98のメリットが無くなってくるので、牙城が崩れ始めたのはその頃かなぁと思います。当時はよっぽどアンテナを高くしていた人以外はPC=98だったので、海外製のPCとかは意識の範疇外でしたねぇ……(自分はアンテナ低かったので、海外の動向には全然興味関心がありませんでした)。だから海外に比べて98の性能が低いとかは考えず、単にそもそもPCという物自体が人間の要求に全く追いついてない、という感覚でした。Windowsの発展を考えれば、別に98で無くても構わないという状況になるのは何となく分かってはいましたが、手元や店頭にあるアプリはほぼ98用、なかなか海外PCには手が出ませんよね……。そして動画のネタに書こうと思って忘れていたのですが、当時はWindowsアプリなのに箱に「PC-9800シリーズ専用」なんてシールが貼ってあるカオスな時代でもありました。WindowsのAPIだけ使ってアプリを組むと動作が遅すぎて使い物にならないので、Windowsアプリのくせに98のハードを直接弄って高速化するなんて有様でした。なんで当時はまだ98でいいや~なんて考えてました。
Windowsは、ずっとDOS/V機でしか触っていなかったので、PC98+Winの奥深い世界を垣間見得て勉強になります(勉強してどうなるものでもないですが)
この頃のWindowsは機種依存性が強いので、DOS/Vとどう違うのか、またはどの辺が同じなのかを知っておくと良いかも知れません。……もちろん今更ですけど(笑)
ありがとうございます!
3.0Bのロゴ画面はこの色みたいですね...。NECの新企業ロゴはちゃんと青くなきゃだめだろーからの、背景色に埋もれるから背景色のほうを変えっか、みたいな感じでしょうか。DOSアプリへ編集ペーストできるのは、はじめて知りました....。テキストデータだった場合は、テキストをキーのストロークにこっそり変換してDOSアプリ側へ送り付けるようなロジックが組んであるのかな?アプリ側の日本語入力状態等によっては、ユーザー意図と違う動きをしそうな気がする。
確かに新ロゴは青でしたね。だからあんな変な色になったわけか……。テキストの貼り込みは、多分テキストVRAMに直接書いていると思います。動画では撮影してませんでしたが、キーストロークだけでは再現出来無いような画面もそのままコピーできましたので。
MS-DOS + FD でなんでもやってた時代に、初めて見たWindows は 3.1 だったけど 3.0 はこんな感じだったのか。少し違うな。それを令和に知ろうとは・・いま見るとXWindowのUIに似てるね。次々と新しいものが出てくるいい時代でした。
NECのWin3.1のベータテストに当選してベータ版を98ノートNS/Eにインストールして使ってた。NS/Eってメモリ搭載量が640KBプラスRAMドライブから1MB転用で計1.6MB、これでは少ないかと増設メモリを買ってきたはいいけど、NS/T以前の98ノートは増設メモリスロットにウェイトがかかっていて、メモリを増設しない方がむしろ軽快に動作するというシャレにならない状況だったよ。
遅いメモリを足すか、速いメモリだけどメモリ不足を我慢するか、なかなか究極の選択ですね……。しかしNS/TだとWin3.1は結構ギリギリのスペックですよね。結局はメモリを増設して動かしていた感じだったのでしょうか。
私のマシンはNS/Eだったので、CPUは386SX16MHzでした。増設メモリはPCカードによく似た形状で簡単に脱着出来たので、Windowsを使うときは外して、DOS版のゲームをするときには装着なんてことしてました。結局Windowsを不満なく動かすには386おろか、486でも少し力不足、Pentium100MHz辺りからストレスなく使えるようになった印象があります。その頃にはメモリも32MBぐらいは積むようになってましたし。東芝のLibrettoなんかは現在のタブレットのように持ち歩いて使い倒してました。98年頃にCDからMP3ファイルを大量に作成してウォークマン代わりにもして、iPodの先を行ってた自負はあります。
Win3.1ならまだ486マシンでもそこそこ動きますが、Win95からはPentiumでないとまともに動きませんね……あと私もLibrettoを持ち歩いて電車の中とかで使っていました。
30歳のわたしも生まれてない頃のパソコン。何に使うのかすら想像出来ない。
だいたい今と同じ様な使い方してましたよ? ワープロ(一太郎とか松とかp1.EXEとか)で書類を作って、表計算(ロータス123とかマルチプランとか)でお金の計算をして、お絵かきソフト(まるぺとかZ'sStaff kid98とか)で絵を描いて、夜になったらムフフなゲーム(いっぱい)を嗜んだり、と。ネットに繋げたければ、「パソコン通信」なる秘術でネットの向こうの人とキーボードで語らい(中身と程度は今と大して変わらず)をしたり……。まぁさすがに動画の閲覧や作成は無理でしたけど。
@@NaopyHobbyLand 一太郎、かろうじて聞いたことあります。ゲームは黎明期からあったのですね。やはり3大欲求は文明を前進させるのですね…笑
家庭用ビデオが流行ったのも、PS2が流行ったのも、98が流行ったのも、全部似た様な理由ですね……(笑)ちなみに一太郎は今でも現役です。98のアプリが~とかでは無く、Windows向けにバリバリバージョンアップしていますよ。www.justsystems.com/jp/products/ichitaro/
この令和の時代に、「実際に動作してるPC9801」を、見るとは思わなかった・・・あ、でも、流石に、モニタは「液晶ディスプレイ」なのか。
CRTはだいぶ前に処分してしまったのでもうありませんねぇ。そもそも置き場所が無く……。
ちょうどWindows3.1をインストールしていて色々苦労したところでした インストール途中でメモリが足りないと言われたのでconfigからdeviceをほとんど外したり、emm386の設定がおかしいと言われてemm386はずしたり、configからdeviceほとんど外した影響からか、名前入力でキーボードおかしくなったり いくら何でもクリーンインストールするだけで面倒臭すぎない??ってなってました もう少し早く投稿してくれていたら助かったのにw
DOSのインストーラーが作ってくれる環境のままだとセットアップすらマトモに動かないというのが、当時のWindowsの醍醐味でしたね~(違)インストール時点である程度DOSに詳しくならないとどうにもならない状況だったので、Windowsの普及が遅れたのでしょう……(95や98も填まれば悲劇ですが、まだなんぼかマシな状況だったような?)
笑ってお仕事。windows。?お疲れさまです。長い戦いでした。一体何が、残ったのだろう。N88BASICの方が、笑顔が多かったような。。月刊 IO (=^・・^=)にゃー。。
なんだろうこの謎の安心感。もはやASMRと言ってもいいかもしれない。
ウチの動画は映像よりも音に拘っています(笑)
キーボードの音がいいです。
ASMRや。
この動画では、いわゆるRDFキーボードと呼ばれるメカニカルスイッチのキーボードを敢えて使っております。
はじめて買ったWindowsが、まさにこのWindows3.0でした。
PCは日本ローカルが嫌だったので、価格破壊のコンパックを選択。
DOSはもちろんコンパックDOS(の6.0だったか?)でした。
単体売りの日本語版Wondows3.0が市販されていなかったので、
英語版3.0を買い、西川和久氏が作った「DDD」(Display Dispatch
Driver:¥1,000)で日本語化しました。
翌年になると、ようやく日本語版Windows3.1が単売されたので、
今度こそ日本語のWindowsを買えました。
動画の中ではオーパーツ気味のPC(PC-9821An)を使っているので結構サクサク動いているのですが、当時は386マシン(PC-9801DA)で動かしていたので、もう本当に使い物になりませんでした……。一応DAはWin3.0A向けにチューンしているとか言われていますが、遅くて全然ダメでしたね。
待ってました!
ヤッター!マッテター!!
3.1使いでしたが、最初に画面に現れるのはプログラムマネージャーで、アイコンがたくさん並んでいるのとウィンドウがつくれますが、95以降での呼び名であるすべてショートカットです。
階層構造をもつ画面インターフェイスではなく、それを開きたければファイルマネージャをひらいてファイルを開きます。いわばファイルマネージャーで見られるファイルのショートカット集がプログラムマネージャでしかありません。
同時期にあったMac OSのクラシックと比較してたら、つまらないOSだなあと気づいていたことでしょう。当時の言葉でいうMacintoshパソコンが別次元で人気だったのもそのせいかもしれません。
TRONもプログラム本体とアイコン(化身)は別とか漢字トーク(システム)になれてるときつかったですね
@@mi-chin
そうそう。Macintoshの日本語OSの呼び名は、漢字Talkでしたね。
参考:上述では、現在からみる形でMac OSのクラシックと書きましたが、タイムリーに使用されていた当時にMac OSクラシックなんて呼び方はありません。Mac OS Xが出てから、以前のver9.2までを区別するため今やMac OS Clasicという呼び方があります。
ここまで古いと、むしろセキュリティよさそうw
サーバ動作していないので、侵入のしようが無い感じですね~
このOSが出てきたあたりからPC-98の牙城が徐々に崩されていくことになるんですね。
Win3.0の頃(1991~1992年くらい)はまだまだ98全盛期で、Win3.1以降(1993~)になるとWindows環境では98のメリットが無くなってくるので、牙城が崩れ始めたのはその頃かなぁと思います。
当時はよっぽどアンテナを高くしていた人以外はPC=98だったので、海外製のPCとかは意識の範疇外でしたねぇ……(自分はアンテナ低かったので、海外の動向には全然興味関心がありませんでした)。だから海外に比べて98の性能が低いとかは考えず、単にそもそもPCという物自体が人間の要求に全く追いついてない、という感覚でした。
Windowsの発展を考えれば、別に98で無くても構わないという状況になるのは何となく分かってはいましたが、手元や店頭にあるアプリはほぼ98用、なかなか海外PCには手が出ませんよね……。そして動画のネタに書こうと思って忘れていたのですが、当時はWindowsアプリなのに箱に「PC-9800シリーズ専用」なんてシールが貼ってあるカオスな時代でもありました。WindowsのAPIだけ使ってアプリを組むと動作が遅すぎて使い物にならないので、Windowsアプリのくせに98のハードを直接弄って高速化するなんて有様でした。なんで当時はまだ98でいいや~なんて考えてました。
Windowsは、ずっとDOS/V機でしか触っていなかったので、PC98+Winの奥深い世界を垣間見得て勉強になります(勉強してどうなるものでもないですが)
この頃のWindowsは機種依存性が強いので、DOS/Vとどう違うのか、またはどの辺が同じなのかを知っておくと良いかも知れません。……もちろん今更ですけど(笑)
ありがとうございます!
3.0Bのロゴ画面はこの色みたいですね...。NECの新企業ロゴはちゃんと青くなきゃだめだろーからの、背景色に埋もれるから背景色のほうを変えっか、みたいな感じでしょうか。DOSアプリへ編集ペーストできるのは、はじめて知りました....。テキストデータだった場合は、テキストをキーのストロークにこっそり変換してDOSアプリ側へ送り付けるようなロジックが組んであるのかな?アプリ側の日本語入力状態等によっては、ユーザー意図と違う動きをしそうな気がする。
確かに新ロゴは青でしたね。だからあんな変な色になったわけか……。
テキストの貼り込みは、多分テキストVRAMに直接書いていると思います。動画では撮影してませんでしたが、キーストロークだけでは再現出来無いような画面もそのままコピーできましたので。
MS-DOS + FD でなんでもやってた時代に、初めて見たWindows は 3.1 だったけど 3.0 はこんな感じだったのか。
少し違うな。
それを令和に知ろうとは・・
いま見るとXWindowのUIに似てるね。
次々と新しいものが出てくるいい時代でした。
NECのWin3.1のベータテストに当選してベータ版を98ノートNS/Eにインストールして使ってた。NS/Eってメモリ搭載量が640KBプラスRAMドライブから1MB転用で計1.6MB、これでは少ないかと増設メモリを買ってきたはいいけど、NS/T以前の98ノートは増設メモリスロットにウェイトがかかっていて、メモリを増設しない方がむしろ軽快に動作するというシャレにならない状況だったよ。
遅いメモリを足すか、速いメモリだけどメモリ不足を我慢するか、なかなか究極の選択ですね……。しかしNS/TだとWin3.1は結構ギリギリのスペックですよね。結局はメモリを増設して動かしていた感じだったのでしょうか。
私のマシンはNS/Eだったので、CPUは386SX16MHzでした。増設メモリはPCカードによく似た形状で簡単に脱着出来たので、Windowsを使うときは外して、DOS版のゲームをするときには装着なんてことしてました。結局Windowsを不満なく動かすには386おろか、486でも少し力不足、Pentium100MHz辺りからストレスなく使えるようになった印象があります。その頃にはメモリも32MBぐらいは積むようになってましたし。東芝のLibrettoなんかは現在のタブレットのように持ち歩いて使い倒してました。98年頃にCDからMP3ファイルを大量に作成してウォークマン代わりにもして、iPodの先を行ってた自負はあります。
Win3.1ならまだ486マシンでもそこそこ動きますが、Win95からはPentiumでないとまともに動きませんね……
あと私もLibrettoを持ち歩いて電車の中とかで使っていました。
30歳のわたしも生まれてない頃のパソコン。何に使うのかすら想像出来ない。
だいたい今と同じ様な使い方してましたよ? ワープロ(一太郎とか松とかp1.EXEとか)で書類を作って、表計算(ロータス123とかマルチプランとか)でお金の計算をして、お絵かきソフト(まるぺとかZ'sStaff kid98とか)で絵を描いて、夜になったらムフフなゲーム(いっぱい)を嗜んだり、と。ネットに繋げたければ、「パソコン通信」なる秘術でネットの向こうの人とキーボードで語らい(中身と程度は今と大して変わらず)をしたり……。まぁさすがに動画の閲覧や作成は無理でしたけど。
@@NaopyHobbyLand 一太郎、かろうじて聞いたことあります。ゲームは黎明期からあったのですね。やはり3大欲求は文明を前進させるのですね…笑
家庭用ビデオが流行ったのも、PS2が流行ったのも、98が流行ったのも、全部似た様な理由ですね……(笑)
ちなみに一太郎は今でも現役です。98のアプリが~とかでは無く、Windows向けにバリバリバージョンアップしていますよ。
www.justsystems.com/jp/products/ichitaro/
この令和の時代に、「実際に動作してるPC9801」を、見るとは思わなかった・・・
あ、でも、流石に、モニタは「液晶ディスプレイ」なのか。
CRTはだいぶ前に処分してしまったのでもうありませんねぇ。そもそも置き場所が無く……。
ちょうどWindows3.1をインストールしていて色々苦労したところでした インストール途中でメモリが足りないと言われたのでconfigからdeviceをほとんど外したり、emm386の設定がおかしいと言われてemm386はずしたり、configからdeviceほとんど外した影響からか、名前入力でキーボードおかしくなったり いくら何でもクリーンインストールするだけで面倒臭すぎない??ってなってました もう少し早く投稿してくれていたら助かったのにw
DOSのインストーラーが作ってくれる環境のままだとセットアップすらマトモに動かないというのが、当時のWindowsの醍醐味でしたね~(違)
インストール時点である程度DOSに詳しくならないとどうにもならない状況だったので、Windowsの普及が遅れたのでしょう……(95や98も填まれば悲劇ですが、まだなんぼかマシな状況だったような?)
笑ってお仕事。windows。?
お疲れさまです。
長い戦いでした。
一体何が、残ったの
だろう。
N88BASICの方が、
笑顔が多かったような。。
月刊 IO (=^・・^=)にゃー。
。